登山家・渡邊直子とは?どんな人?これまでの経歴と登山家としての挑戦に迫る

人物

皆さんが「〇〇家」という名前を聞いてすぐに頭に思い浮かべるのはどんな名称ですか?

漫画家、落語家、作詞作曲家、または書道家や陶芸家などおそらく様々な作品を手がける分野の専門家の方を想像する事が多いかと思います。そういった方々は世間で認められ評価をされる事で地位や名誉、資産を生み生業としている方々が殆どかと思います。

その一方で自らの収入や果ては命まで削る覚悟で専門的な知識や技術を磨き自身の夢や目標に向かって突き進んで生きている「登山家」という方々がいます。

最近ではお笑い芸人のイモトアヤコさんがいくつもの最高峰と言われる山に挑戦する様子を目にする事もあり、その姿を見て身近に感じる事ができる方もいるのではないでしょうか?

しかし、登山家の方々は山に登る事自体で何かの利益や報酬を得ているわけではありません。自身の経験を活かして講演会を行ったり、書籍の発行などにより成功を収めている方もいますが全ての登山家がそうではありません。

かつて世界最高峰のエベレストに挑戦したジョージ・マロリーが「何故、山に登るのか?」との問いに「そこに山があるから」と答えたと言われる話が有名ですが、どのような思いで生命の危機と常に隣り合わせでもある登山に自分の人生や目標を重ね合わせているのでしょうか。

多くの登山家の中でも日本人といえば野口健さんが有名ですが、40代前半という若さで世界に14座しかない標高8000m以上の山々の登頂に日本人女性初として13座成功し、ついにはアジア人女性初と言われる14座目に挑もうとしている「渡邊直子」さんという登山家を皆さんはご存知でしょうか?

 

スポンサーリンク

登山家 渡邊直子さんとは?

1981年に福岡県で生まれ3歳の頃から看護師の母、千代子さんが働いていた社会福祉施設のキャンプで登山やアウトドアを始めて、その際に初めての雪山登山にも挑戦。

小学校4年生の時にNPO法人遊び塾ありギリス(現在は解散している)という登山や冒険といった野外活動に参加をし、家族の付き添いもなくアジアの子供達と中国にある無人島でのキャンプやモンゴル草原横断等を経験。

モンゴルの大草原で迷子になった事もあるとの事。しかしそんな大勢でわいわいとした時間を楽しむ一方で学校でいじめを受けて苦しむ時期も多くありました。

そんな時、野外活動での自分にしかできない広い世界での経験やコミニュティ、周りの大人達に助けられたおかげで不登校になることも無く、引っ込み思案だった性格からも強くなる事が出来たと語られています。

中学1年生で初の海外登頂(パキスタンの標高4700m峰)に成功した事で本格的な登山に魅了されていった様です。

 

登山と並行し様々な分野で活動した学生時代

渡邊直子さんは登山を楽しむ一方で学生時代にはバトミントンにも熱中し大学では全日本学生選手権への出場も果たしています。

幼い頃から培ってきた運動神経や体力はやはり並大抵のものではなく、それが他のスポーツにも生かされたという事ではないでしょうか。

また渡邊さんの好奇心とバイタリティは素晴らしく、登山と正反対の事をしてみようと登る事ではなく潜る分野で韓国済州島への交換留学にて水産学部で海女の研究に進んでいます。

さらに渡邊直子さんは現役の看護師さんでもあります。

という事は看護学校にも通っていた時期もあるはずですが2023年現在までの間でどのような学生時代を経て仕事と登山を両立しているのでしょうか?

 

学生時代の登頂記録(公式HPやインタビュー等より)

◆学歴:2000年福岡県立春日高等学校卒業
◇登頂:2000年マルディヒマール(標高5587峰)世界最年少記録にて成功
◇登頂:2002年アイランドピーク(標高6189m峰)成功
◆学歴:2004年長崎大学水産学部水産学科卒業(2003年韓国・済州大学校交換留学)
◇登頂:2006年チョオユー(標高8201m峰)成功 ※初の8000m以上登頂成功
◇登頂:2008年メラピーク(6476m峰)成功
◆学歴:2009年日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科卒業

大学生活と登山を見事に両立されていますね。ちなみに大学3年生の時にチームで6000m峰の登山を経験し保険係を担当した事で看護師の仕事に興味を持ったとの事なのでおそらくアイランドピークに登頂された時ではないでしょうか?

渡邊直子さんのお母様も看護師をされていたとの事なのでその影響もあるかもしれませんね。

 

記録を打ち出す為ではなかった登山

出典:BE AT TOKYO

大学卒業後は数年に1回のペースでヒマラヤに通うようになったという渡邊直子さん。

看護師で得た収入の殆どを注ぎ込みながらも「まずは行ってみよう、難しかったら下りればいい」くらいの気持ちだったといいます。渡邊さんにとって登山は「山への休憩」であり、気が付いたら記録になっていたとの事。

ベースキャンプで顔見知りの登山ガイドさん達と話したりキッチンで料理を楽しんだり、世界各国から有名な登山家が集まる場所でも1人の人間同士として交流できる事も魅力の一つで、壮大な景色の中で好きな音楽を聴いたりと普段の生活では決して味わえない日々を過ごす事などの全てがストレス発散になっていると言います。

頂上を目指すだけではなく山での生活全てが渡邊さんにとっては充実した時間になっているのです。

ちなみに過酷なイメージの強いヒマラヤ登山ですが、一般的な登山ルートにあるベースキャンプの場所によってはグランピング施設の様になっており、ドームテント内には人工芝が敷き詰められテレビや暖炉が完備されているとの事なので非日常的な空間を思いきり堪能できる場所になっているそうです。

 

登山家としてのターニングポイント

出典:東京新聞

大学卒業後、看護師として働きながら約10年に渡り登山を続けてきた渡邊直子さん。その間の主な登山歴は以下の通りです。

2011年:エベレスト(8848m峰)8700mにて断念
2013年:エベレスト登頂
2014年:マカルー(8643m峰)登頂 ※日本人女性2人目記録
2015年:アンナプルナI峰(8091m峰)7900mにて断念
2016年:アンナプルナI峰7500mにて断念
2016年:マナスル(8163m峰)登頂
2017年:カンチェンジュンガ(8586m峰)8150mにて断念
2017年:ナンガパルバット(8126m峰)7300mにて断念
2018年:カンチェンジュンガ8300mにて断念
2018年:K2(8611m峰)登頂 ※日本人女性2人目
2019年:アンナプルナI峰登頂 ※日本人女性初
2019年:カンチェンジュンガ登頂 ※日本人女性初
2019年 – マナスル登頂(2回目)
2019年 -ダウラギリ(8167m峰)7200mで断念

登山家としてのターニングポイントは2019年、3度目の挑戦により日本人女性初となるアンナプルナⅠ峰とカンチェンジュンガの登頂を成し遂げた事によって8000m峰の制覇が7座に達します。

渡邊さんの周りの登山家が14座制覇を目指す人がいたこともあり「私にもできるのではないか?」と、日本人女性初だけではなく当時アジア人女性にもいないとされていた14座制覇を目指す事を決めたとの事です。

 

目標とした14座制覇への道程を阻むもの

出典:PR TIMES

本格的に14座制覇に乗り出した渡邊直子さんに思いもよらない大きな壁が立ちはだかりました。

それは2020年からのコロナウイルスの世界的な蔓延。ヒマラヤ山脈は全山閉鎖され身動きの取れない状態に。2021年になりようやくネパール、パキスタンの規制が緩和された事により渡邊さんは再度ダウラギリへの登頂への挑戦となるのです。

しかしこの頃、資産家の令嬢やスポンサーをつけた若者といった新たなライバル達が次々に登場し渡邊さんの目標達成への行く手を阻んでいる事に気が付きました。

せっかく自分がコツコツとやってきた事がこのままのペースで登っていては負けてしまうと危機感を抱きますが、そこはこれまでのありとあらゆる厳しい環境を乗り越えた登山で培った行動力とバイタリティ生かして進んでゆくのです。

まず渡邊直子さんは初めて自身のホームページで支援を募り、ビームスなどのスポンサーを獲得します。

次に1年の半分しか日本に居ないならもったいないと家を引き払いホテル等に泊まりながらフリーの看護師として仕事も続け資金を調達し、2021年春6500mでの断念を乗り越え2021年秋についに3度目の挑戦によりダウラギリの登頂に成功するのです。

 

1年間で6座の8000m峰以上の登頂に成功

出典:funq.jp

ダウラギリの登頂に成功してからの渡邊直子さんはその後たった1年間で6座の8000m峰以上の登頂を成功させました。これは日本人女性初の記録にもなっています。

2022年:ローツェ(8156m峰)登頂
2022年:ナンガ・パルバット(8126m峰)登頂
2022年:ガッシャブルムII峰(8035m峰)登頂
2022年:ブロード・ピーク(8051m峰)登頂
2022年:ガッシャーブルムI峰(8080m峰)登頂
2022年:マナスル(8163m峰)登頂(3度目)

本来であれば一気に登頂したかったというのが渡邊さんの思いではありましたが、残す1座のシシャパンマ(8027m峰)は中国政府の管轄であり入山禁止の解除がなされておらず足を踏み入れる事が出来ませんでした。

2022年当初はゼロコロナ政策により2023年春には入山許可がおりるであろうと予測しましたが、登山に最適とはいえない春はまだ雪深くヒマラヤ登山の案内人をネパールから連れて行ったり、その他装備も自分達での用意が必要な為、渡邊さんは支援募集を始め「借金をしてでも許可さえ出れば登頂する」と、誰よりも先の登頂を目指して準備を進めていました。

しかし中国政府からの許可が渡邊さんに春に下りる事はなく、同時期に14座制覇を目指し入山許可の申請をしていた中国人女性の登山家には許可が下りた為、アジア人女性初の記録達成には至りませんでした。

これが日中関係の冷え込みによる影響か否かは中国政府は明らかにしていないとの事です。春の登頂が実現出来なかった為、秋から遅くとも年内には目標達成したいというのが渡邊さんの強い思いの様です。

 

14座制覇達成と共ににある渡邊直子さんの目標

出典:毎日新聞

渡邊さんは山において常に死と隣り合わせな経験を沢山されて来ました。

8000m峰では酸素も薄く台風並みの風が凍てつく温度の中吹き荒れ、視界を遮られるホワイトアウトという現象も起こります。そんな中でクレバスと呼ばれる氷の裂け目に滑落した登山家や、凍てついた空気の中、身体の一部を失った遺体に遭遇した経験もあると言います。

渡邊さん自身もエベレスト登頂まで残り150m程度という距離で急に天候が荒れた為に登頂を諦めたのですが、その日頂上に向かった登山家は命を落としたとの事です。また登山だけでなく、看護師としての仕事も常に死と隣り合わせだと言えるのではないでしょうか。

しかし渡邊さんは「生と死に関わりがあるからこそ新たな自分を発見できる、看護師としても若くして亡くなった方も見てきた。だからこそ明日死んでも良いように生きる」とインタビューで答えています。

現在では精神的に不安を抱えた大人が非常に多い、また子供達も安心して色々な事を体験したり冒険をする事がなくなっているのは個々の世界を狭めてしまっているのではないかと渡邊さんは危惧しています。

自分が山へ休憩に行く際に友人と一緒に向かった所、帰る頃にはすっかり元気になっており、山が与えてくれる精神的支えは渡邊さんだけのものでは無いと実感したそうです。

また、自分が経験をした事で子供達も安心して預けてもらえるのであれば、世界中の子供達にもっと広い世界を体感してもらえるような組織作りを考えてもいるとの事です。

渡邊直子さんは、「あくまで現在の目標は通過点であり、その先には自分が趣味ではじめた経験が社会貢献に繋がる様なもっと大きな夢がある。どんな人にも可能性がある。私の挑戦が、誰かの挑戦につながったら嬉しい」との言葉を私達に伝えてくれています。

日本人女性初の14座制覇と共に今後の活躍にもたくさんのエールを送りたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました